第2語 ただ透明な、なめるだけのアイクリーム
街を歩いていると色々な人の声が耳に入ってくる。私はそれを聴くのが好きだ。
タイトルの言葉は家の近所の子供が家族と話していたときの発言。
正確には「ただ透明な・・・なめるだけのアイスクリーム」。
一呼吸考えてから、「なめるだけのアイスクリーム」と言った。彼は言葉を選んだ。
すぐに離れてしまったから私は会話のその部分しか聴いていない。
そのため前後関係はわからないが、なんだか奇妙なことを言っている。
透明だけど、なめることはできる。そして、なめることだけしかできない。
このアイスクリームは味がしないのかもしれない。
もしかしたら、なめることはできても食べることはできないのかもしれない。
実に不思議なアイスクリームだ。果たしてそれはアイスクリームと言えるのだろうか?
たしかになめて冷たさを感じるのであればそれはアイスクリームと呼んでも問題ない気がする。
しかしアイスクリームをなめたとき私たちは同時に必ずバニラの香りと、口に広がる甘い味わいを感じる。
もしこれが「透明なアイスクリーム」であったとすれば「透明人間」と同様に想像することができる。アイスクリームがただ見えないだけだ。
けれど「味がせず食べることもできないアイスクリーム」はイメージがしにくい。
なので「透明人間」という類似の存在を手がかりに考えると、もしかしたら「透明で味がせず食べることもできないアイスクリーム」はアイスクリームの幽霊のような存在かもしれないと思う。
アイスクリームの幽霊。
夏にコンビニで買ったアイスクリームが暑さで溶けて、道路に落ちてしまった状況をイメージする。
それはとてもかなしい。
せっかく選んだのに。もっと早く食べればよかったな。
私たちはコーンだけになってしまったアイスクリームを惜しんで、心のなかでだけ弔うようになめることができる。あるいは文字通りなにもない空間をなめることができる。きっとそれはとても悔しげな様子だろう。
少年はどうしてこんなことを言ったんだろう?
第1語 太平洋をクロールしている気分
新しいブログを始める。
きっかけはタイトルのように感じ、それをどこかで言いたかったからだ。その場所としてブログが最適だと考えた。
私は東京で一人暮らしをしている。会社員だ。
お盆に夏休みがあった。もともと香港に行くはずだったが、ご存知の情勢のため、出発日に千葉県館山市に行く先を変更した。館山では3日間海を泳ぎ、最終日にはクラゲに刺された。
夏休みが明けてまた会社に通う日々が始まった。経験したことがあると思うが、休み明けの学校やら会社は気持ちの切り替えがすぐにできず、とても疲れる。そのときに頭に浮かんだのだ。なんだか太平洋をクロールしているようだと。
どこまでも続く海原の映像をテレビで見たことがある。そこを泳いだらどんな気持ちがするのだろうか。いまの気持ちはひょっとするとそれに近いかもしれないな、と。
夏休みが明けてジムに入会した。
月々の会費はなかなか高い。それでも運動をしたくなったので思い切って始めてみた。ジムではランニングとスイミングを行っている。走ることは昔から好きで、個人でフルマラソンに出たこともある。しかし東京の都心で無心に走ることができる場所は少ない。その点ジムならば、一定時間ランニングマシンを専有することができる。
水泳は年に何回か市民プールでやっていた。毎回頑張って1kmを泳いではグッタリとしていた。しかし疲労のなかにある確かな達成感が好きだった。泳ぐことが日常のなかにあったらどうなるのだろう。
今日3回目のジムに行ってきた。これまでランニングとセットだったが、初めてスイミングだけをした。
今回のクロールはこれまでになく気持ちがよかった(私はそもそもクロールと犬かきしかできない)。泳ぐと呼吸は苦しくなるものだと思っていたが、息継ぎの回数を減らしたことで無駄な力が抜けたのだろうか、最後まで穏やかに泳ぐことができた。これは私にとってけっこうな驚きだった。こんなに省エネな泳ぎ方もあったのか。
水中でまわりの水をかき分けて前に進むことが楽しい。天井の照明がプールの底で格子模様に輝いて美しい。25mの端でゴーグルを上げてぼんやりと広い空間を眺めると心身の一体を感じる。
太平洋をクロールしたらどんな気分になるのだろう。夏休み前とイメージがちがうことが少しだけ誇らしい。